魚肉ソーセージの包装材、すなわちケーシングの歴史を振り返ると、様々な工夫が施され、進化してきたことが分かります。そもそもソーセージは欧米の一般的な食品であり、ひき肉に調味料を混ぜたものを動物の腸に詰めて造られます。その包装材も最初は天然腸でしたが、徐々に欠点、難点を克服するべく、不可食性のケーシングが試されてきました。不可食性のケーシングには気密性、耐水性、耐熱性を期待できることから、各社で開発が急がれましたが、全ての機能を具えたフィルムを発明することは中々叶わず、セロハンが代用された期間も短くありませんでした。
日本人は欧米人に比べて魚肉を好む傾向にあり、魚肉ソーセージも戦前の発売以来人気を博していましたが、戦時中に衰退してしまいました。戦後に改めて魚肉ソーセージの開発、販売が開始されましたが、その流れを速めたのは米国の水爆実験でした。マグロが売れなくなり、漁業関係者がその対策として魚肉ソーセージの販売に心血を注いだのです。その結果、魚肉の進化もさることながら、包装材であるケーシングの進化も速まりました。それまでは塩酸ゴムのチューブが用いられ、何とか微生物の発生を抑えていたのですが、手作業で造っていたことからそれも限界に近付き、いよいよポリ塩化ビニリデンのフィルムが開発されることになったのです。
合成樹脂のフィルムは気密性、耐水性、耐熱性を全て有しており、魚肉ソーセージのケーシングとしては最適でした。大量生産にも向いていたことから、当時の消費量拡大の波に乗ることもできました。また防腐剤であるニトロフラゾン等の添加物が認可されたこと、合成樹脂で密封するための機械が普及したことも、塩化ビニリデンのケーシングの普及に大いに貢献しました。